子どもとスポーツ

スポーツの楽しさを追求します。

松井大輔選手

ジュビロ磐田松井大輔選手が、ポーランド2部リーグのオドラオポーレというクラブに移籍するというニュースは驚きと嬉しさに溢れました。

 

松井大輔の生き方は格好良いです。

 

誠に勝手ではありますが、彼の経歴を紹介します。

 

京都の山科出身で、小学校の時から天才として活躍していたそうです。

 

当時のチームメイトには、今もJリーグで活躍する山崎雅人選手がいます。

 

中学時代は、一度、弱小公立中学でサッカー熱が消え掛かります。

 

ゲーセンに行く日々もあったそうですが、このままでは駄目だと奮起します。

 

隣に優秀な指導者のいる公立中学があったので、安アパートに引っ越しして転校するという荒技を披露します。

 

上手く先生を騙しながら?!転校するという荒技に、両親は相当苦労したと思います。

 

中学の時に、フランスのパリ・サンジェルマンに短期留学して、才能を発揮します。

 

そのまま移り住む選択肢も出てきましたが、ここは流石の松井選手も怯んで、親の説得もあり、日本の高校に進学します。

 

テクニシャンの松井選手が選んだのは、フィジカルサッカーで有名な鹿児島実業高校です。

 

京都から遠く、サッカースタイルも合わないだろう鹿実を選んだ松井選手。

 

流石です。

 

2つ上の先輩にガンバ大阪の遠藤選手、同級生に浦和レッズ那須選手、1つ下の後輩に上本選手(大分トリニータ等で活躍。現在は鹿児島ユナイテッドFC所属)と田原豊選手(京都サンガ等で活躍。)がいました。

 

全国高校選手権では、準優勝と結果を残します。

 

複数のクラブから声が掛かりますが、松井選手は、当時、三浦知良選手が所属していた京都サンガを選択します。

 

私はサンガファンで、この時に松井選手を初めて見ました。

 

18歳とは思えない堂々としたプレースタイル。ファンタジスタでした。

 

完全に魅了されました。

 

その後、朴智星選手とともに天皇杯制覇をして、アテネオリンピックにも出場します。

 

オリンピックの後、フランス2部リーグのルマンへ移籍。

 

ルマン、サンテティエンヌグルノーブルと渡り歩きます。

 

グルノーブルに行ったことがありますが、スイスに近い素敵な田舎町です。

 

その後も、ロシア、フランス、ブルガリアポーランドと渡り歩きます。

 

世界で戦うサムライですね。

 

南アフリカW杯での活躍は本当に嬉しかったです。

 

ジュビロ磐田に戻ってきた時は、そろそろ引退かなと、寂しい気持ちになったのを覚えています。

 

ジュビロ磐田では、組織の中で大きな役割を果たしていたみたいです。

 

大人になりましたね。(偉そうにすみません。。)

 

そして、また海外へ。

 

進化を止めない松井選手に期待しています。

 

あと10年は現役として活躍出来ると思います。

 

応援しています。